断捨らないことによって得られる精神的安定感みたいなもの。 | sbifb4 | sa.yona.la ヘルプ | タグ一覧 | アカウント登録 | ログイン

Re: 不用品を売るのはなんとなく好きじゃない。

断捨らないことによって得られる精神的安定感みたいなもの。

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究極ではゴミ屋敷なんでしょうけど。真似はしませんが、売らない派、かつ捨てない派です。(でも、中古品は割りと買う。なんでだろう。)

『母屋』の他に不用品をためておける『離れ』がある素晴らしさ、田舎暮らしの利点はまさにそこなのです。農家からお宝がでてくる仕組み。自分も溜め込むだけ溜め込んでます。起動しないハードや絶対読み返さない雑誌とか。

いざとなったら発掘すればいい、と思えるところが、人生のバックアップをとっているような気分にさせるんですかね?


>「あげちゃう」というのもあるか。マッチングがうまくいけばそれでもいい。


事例1

友人が駅前で見知らぬ人に声をかけられ、なんの脈絡もなしにリンゴをもらったことがあります。

くれた人曰く、「たくさんあって食べきれないから」(なんだそれ)とのこと。勿論、捨てたそうです。


事例2

以前Yahoo!JAPANのサービスに『なんでも交換』というのがありました。ヤフオクの物々交換バージョンで、交換でなく無償で放出することもできました。

一度だけ試しに放出したことがあったのです(オクで落とした品にオマケでついてきたPC関連商品。不必要だったので)が、申し込みは多数来るのに、いざ譲渡しようと決めた相手にメールしても返事が来ない。仕方ないので二番手、三番手と候補を落としていっても誰も返信してこない。

結局わかったことは、タダの物に群がる人間のモラルはそれなりだ、ということだけでした。程なくサービスも終了しましたので、語るもがな、だったのかと。


あげることは、売ることより断然難しいと思う。

投稿者 sbifb4 | 返信 (1) | トラックバック (0)

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Re: 断捨らないことによって得られる精神的安定感みたいなもの。

人生のバックアップについて、形見分けの時に思ったこと。

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形見分けといっても死去の直後ではなく、しかも死んだのは親族でもなく。


ぜんぜん別の件で知り合いの家に行ったときに雑談をしてたら、そういえばそれ死んだ親父が持ってたよ、あれまだ捨ててなかったはず。出してくるから持っていけ。


で、それの入っていた小箱が出てきて。

めんどくせえから、箱ごと持っていくなら、やる。要らないものは捨てていいから。


一瞬考えて、もらってきました。

オレはその死んだ親父さんとも話したことはあるんだけど、オレなら「この箱の中で、オレが使わないもの」は捨てられるんです。

事実、そういうものは捨てたし。


きっと、自分では使わなくて正直じゃまなんだけど捨てるのも売るのもなんとなく嫌、だったんだろうな。

投稿者 zig5z7 | 返信 (0)

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