京都弁よりも、中国語の方が余程多く耳にしている事実。 |
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京都旅行 |
観光地を巡っている訳ですから必然的に常に観光客に囲まれているわけで、その中で中国語を常態的に耳にするのは、彼らの割合が実際に多いことと、彼らが文化的に常に喋り続けている人たちだからだと思う。本当に賑やかですよね…TPOはさておき。
お国レベルでは冷め切った日中関係ですが、民間レベルではこうして足を運んで主に外貨を落として頂ける、というのはいいことだと思うのです。八つ橋屋のおねーちゃんが流暢な中国語で対応していたり、新京極のABCマートが店の出入り口に银联カードの看板を目立つように出していたのが印象的でした。
で、ですが、その割りには標識としての観光案内に中国語が足りてない気がします。殆どの場合、日本語と英語。なんでしょうね、こう、中国語での表記があふれかえることに対しての心理的な抵抗感が全くないといえば、それはたぶん嘘になる。英語での表記には抵抗ないのに。近い分、色々思うところがある(歴史的にも、外交的にも)国ですから、観光産業に携わらない人達の眼にとまる形での熱烈歓迎はできないのかなぁ、とも。
夜飯で立ち寄った定食屋で、自分の前でレジに並んでいた中国人カップルがレジ前のメニューを指差ししながらオーダーしてました。ああ、自分も海外じゃよくやるよそれ、あはは。それでもさ、見知らぬ土地で拙い日本語だったとしても何らかの表記があれば、その一文を目にするだけで親近感とか親切心みたいなものが背景に感じられて有難いのも事実。露骨な外貨収入のためで有っても。その辺の割り切りに関して、もっと寛容になる必要があるんじゃないかなぁ、と思いました。
余談:
土産物屋の軒先に「特攻」の文字と旭日日章旗をあしらった鉢巻がぶら下がっているのをみて、そこはかとなく不安を感じたのですが考えすぎでしょうか?
投稿者 sbifb4 | 返信 (0) | トラックバック (0)