視力が落ちて、気がついたこと。 |
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生まれてこの方長い間、幸いなことに視力だけはすこぶる良好で不便を感じたことはなかったのですが・・・人生も下り坂に差し掛かりいよいよ衰えが。
気がつくと視点が合ってなくて視界がぼやっとした状態、でもちゃんと観ようとして目玉をキュッてすれば全く普通に見える・・・のでそれほど不便ではないけれど、なんかそうするのが面倒で、まあいいやと思ってぼやっとしたままにしてしまったり。紙に書かれた小さい文字が読みにくくて脊髄反射で遠ざけると見やすくなったり、でも(昔は読めたような)遠くの看板の文字が読めなかったり。うーん。
家の冷蔵庫にランドルト環の表がはっつけてありまして、それを使って素人計測したところ右目が1.2、左目が0.7。左目だけが衰えてるっぽい。実際片眼ずつで見比べるとはっきり自覚できるレベル。
で、視力が落ちてから無意識に行うようになった行為に最近気がつきまして・・・読めない文字を、周囲の情報から何と書いてあるのか想像して補完するようになったのです。
たとえば広々としたデパートのフードコートで、遠くにあるテナントの写真入りメニューの看板を観たとき。文字がぼやけておおよその形しかわからないけれど、写っている食べ物からそれが『うどん』という単語だろう、と認識する。3文字だし。二文字だったらソバの可能性を検討する。横一列に並んだ食べ物の写真それぞれの右下に、同じ色と大きさで似たような文字が並んでいれば、ああ、これはきっと文字じゃなくて数字で、値段が書いてあるんだな、とか。視力や想像力以外に、経験則も動員しちゃう。
で、これらの脳活動にリソースを割くのが結構な負担なのです。文字情報がある状態に置かれると無意識にやっちゃう(本能的に読めないものでも理解しようと努めてしまう)のですが、あとあと意外と疲れている自分に気がつくのです。正直やめたいけど、意識して止められるものではないのでいかんとも。
おとなしく眼科に行くべきなのかとも思うのですが、一度眼鏡かけると一気に悪化するっていうじゃん。行きたくないんです。でも左目だけなにかの病気で見えづらくなっているのだとしたら、それはそれでイヤンな感じ。イヤンな感じ、じゃねぇ。
うーん。
投稿者 sbifb4 | 返信 (2) | トラックバック (0)