アレ、馴れると考えずに発信しちゃうようになるんだよな。そしてダダ漏れになって素が出ると。素が面白い人間なんてそういやしねーっての。
有用な情報になる得るものを、有用になるように発信するにはやっぱり文章力なり表現力なりある程度の聡明さってのは必要なわけで。だからこそ、雑誌だのテレビだの新聞だのプロの場があるわけで(反論はあるだろうが)。
Twitterにせよ何にせよ、「誰でも手軽に」というのが売りだからこそ、「誰でも」でない人が結局最後に残るんだなあと思いながら眺めてる。
夢を抱き続けたい相手のTweetは追わない方がいいと悟った。
坊主頭の件、何であれ、「節電必須の今だからこそ坊主頭はエコ最先端!」ってマスコミで持ち上げないんだろ? 水も時間もシャンプーも冷房も節約できて超いいと思うんだが。
まあ、まるっきり髪の毛ないのは見た目がアレって意見もあるかもだが、1cm弱残しとけばよくね?
女親が息子に丸坊主させるのは、単に楽というのが主だと思う。それから多分、「自分がやってみたいけどできないから」というのが意外とあるんじゃないかなと思う。
やってみるといいよ、世界が変わる。
頭から水浴びたら顔に全部水が掛かって来たり、刈り立てだと服の脱ぎ着が頭で引っ掛かって大変だったり、寒い時期だと頭からすごい発熱してるのが自覚できたり、刈り立ての翌朝鏡見て自分でビビったり、髪がほとんどない頃だと軽くどこかに当たっただけで大流血したり、同じ長さの坊主頭とすれ違う時にちょっとニヤっとし合ったり、まあ、そんな風に世界が変わる。
いやマジおすすめ。この楽さは一度味わったらやめられない。
ここから下らない蛇足。
今回の丸坊主は、昨年末の突発家出の、6ヶ月目の記念だった。
人の姿形に口を出さずにはいられない相手と暮らしてて、髪を数cm切っても嫌味を言われるのにある日キレて、割りと長かった髪を剃ってもらって帰宅。
ショック療法(オレがどんな格好しようと、基本的にはオレの勝手!という意思表明)のつもりだったんだが、以後は髪を切りに行こうかなと言うだけで怒り狂うようになった。たかが散髪で暴れられるのも面倒くさくて、残りの時間は相手の言いなり。
そんなわけで、いつか丸坊主にしてやると思ってたのをやっと実行できた。
家を出て物理的に別れる直前の、自分の内側の修羅場がウソのように、今は地味に静かに暮らしてる。正直、一緒にいた間のことは、当時の日記でも読み返さない限りよく思い出せない。
突発家出→「え、そんなひどいことするの?」「相手に失礼じゃない?」「引越し先も知らせないし連絡も取らないなんて冷たい」→数人友人に疎遠にされた気がするが、自分の身の安全最優先で気にしないことにした。
新住所を知らせないのは、ストーカー防止だ。自分で好きに死ぬのはいいが、アレに殺されるのだけはごめんだ。と、ここまで言っても、前述の友人たちは「でも・・・」と言うので、こちらからは気持ち的に疎遠にさせてもらった。
アレと一緒にいた時には、店の雰囲気が気に食わないと言われて足が遠のいていた、昔常連だった散髪屋でバリカンで刈ってもらった。
オヤジさんは何となくオレのことを覚えててくれて、久しぶりだと近況報告、暮らしてたヤツと別れたので、すっきりしたくて来たと言ったら笑ってくれた。
軽くなった頭を撫でて、捨てて来たのは髪の重さだけではなかったのだと、丸出しになった自分の顔を鏡で見て思った。
丸坊主いいよ丸坊主。暑い夏と節電の友。