どこかに責任を求めるというなら、やっぱりココだと思う。 |
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先日、遅刻してきた教師がそのことを生徒に詫びたところ、生徒が「まぁ、いいってことよ」と言葉を返し、その一言に激高して暴力沙汰になった事件がありました。
メディアやネットの反応は「暴力良くない」とか「キレ過ぎワロタ」だったのですが、自分にはこれがごく自然で単純な【入力(教師に対して不遜な返事をすること)】と【出力(結果、ボコられる)】に見て取れるのです。そこまで教師を避難する気にはなれない、というか。
体罰が良いか悪いかは別として(いや悪いんですけれど)、子供に「行動や発言にはリスクが伴う」ことを、大人が単純かつ時間効率最大で教えるには、痛みを伴う方法が一番だと思います。(ここでいう『子供』はあくまで『児童』と言っても差し支えない年齢まで、で。また『大人』は保護者に限定せず、広義に児童に接する機会のある『成人』全てで)
勿論、節度ある暴力で。顔面パンチはアウトですけど、拳骨ゴッチンや平手打ち(吐血不可)を一発くらいなら。デコピンは弱いので不可。加減には最大限の注力をすること。難しいけど。時間効率は悪いですが、正座させたまま長時間説教でも可です。痛みが足に来るうえ、精神的な苦痛は暴力以上のものがあります。
さて、ここからトチ狂った発言をしますが、ここで大人が暴力を振るう判断基準は、「子供が悪行をしたから」だけではなく、単純に「なんとなくその行動にカチンときたから」で良いと思うのです。暴力を振るわれる所以が善悪の判断からのみではなく、理不尽なことでも起こりうることを学習させるため。
だって社会に出たら理不尽な思いをさせられることなんて日常茶飯事だもの。世の中を上手く(もしくは無難に)生き抜いてゆくには、自らが信じる正しさだけに拠らない判断をすることや常に周囲の目・空気を意識すること、出てくる杭にならないことの重要性を理解することが大切。勿論、人格がこういった考え方だけで構成されてはいけませんが、何か行動を起こすときに常に頭の片隅にあれば、一連の炎上騒ぎのような事件を起こさないようにする抑止力になるハズです。
自分には、大人が暴力を振るう手間を懶がった結果がバカの量産に繋がったように感じるのです。
以下余談
だいたい、今日日、大人が暴力振るうのって命懸けじゃん。暴力振るうと、そのことで出る杭打たれて社会的に抹殺されちゃう。すぐ体罰だつって非難されちゃう。度が過ぎれば体罰だけれど、自分は最大限の加減を意識して振るわれる暴力は、大人と子供の間に必要な正常なコミュニケーションだと思うよ。必要悪だけど。
投稿者 sbifb4 | 返信 (1) | トラックバック (0)