どこかに責任を求めるというなら、やっぱりココだと思う。 | sbifb4 | sa.yona.la ヘルプ | タグ一覧 | アカウント登録 | ログイン

どこかに責任を求めるというなら、やっぱりココだと思う。

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 先日、遅刻してきた教師がそのことを生徒に詫びたところ、生徒が「まぁ、いいってことよ」と言葉を返し、その一言に激高して暴力沙汰になった事件がありました。

 メディアやネットの反応は「暴力良くない」とか「キレ過ぎワロタ」だったのですが、自分にはこれがごく自然で単純な【入力(教師に対して不遜な返事をすること)】と【出力(結果、ボコられる)】に見て取れるのです。そこまで教師を避難する気にはなれない、というか。


 体罰が良いか悪いかは別として(いや悪いんですけれど)、子供に「行動や発言にはリスクが伴う」ことを、大人が単純かつ時間効率最大で教えるには、痛みを伴う方法が一番だと思います。(ここでいう『子供』はあくまで『児童』と言っても差し支えない年齢まで、で。また『大人』は保護者に限定せず、広義に児童に接する機会のある『成人』全てで)

 勿論、節度ある暴力で。顔面パンチはアウトですけど、拳骨ゴッチンや平手打ち(吐血不可)を一発くらいなら。デコピンは弱いので不可。加減には最大限の注力をすること。難しいけど。時間効率は悪いですが、正座させたまま長時間説教でも可です。痛みが足に来るうえ、精神的な苦痛は暴力以上のものがあります。


 さて、ここからトチ狂った発言をしますが、ここで大人が暴力を振るう判断基準は、「子供が悪行をしたから」だけではなく、単純に「なんとなくその行動にカチンときたから」で良いと思うのです。暴力を振るわれる所以が善悪の判断からのみではなく、理不尽なことでも起こりうることを学習させるため。

 だって社会に出たら理不尽な思いをさせられることなんて日常茶飯事だもの。世の中を上手く(もしくは無難に)生き抜いてゆくには、自らが信じる正しさだけに拠らない判断をすることや常に周囲の目・空気を意識すること、出てくる杭にならないことの重要性を理解することが大切。勿論、人格がこういった考え方だけで構成されてはいけませんが、何か行動を起こすときに常に頭の片隅にあれば、一連の炎上騒ぎのような事件を起こさないようにする抑止力になるハズです。


 自分には、大人が暴力を振るう手間を懶がった結果がバカの量産に繋がったように感じるのです。


以下余談


だいたい、今日日、大人が暴力振るうのって命懸けじゃん。暴力振るうと、そのことで出る杭打たれて社会的に抹殺されちゃう。すぐ体罰だつって非難されちゃう。度が過ぎれば体罰だけれど、自分は最大限の加減を意識して振るわれる暴力は、大人と子供の間に必要な正常なコミュニケーションだと思うよ。必要悪だけど。

投稿者 sbifb4 | 返信 (1) | トラックバック (0)

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Re: どこかに責任を求めるというなら、やっぱりココだと思う。

ひとつの懸念

返信

別の意味でも、特に「言ってわかんないなら赤ん坊どころか犬猫以下」という意味でも、直接の実力行使も止む無しというケースもあると思いますし。


ただ、これ、子供の方が要らん反撃や逆恨みやお礼参りや八つ当たりをしない(要る逆恨みというのはありませんが)のが前提ですよね。

「いいあいになって、最後は首の骨折ってなげてすてた」まで一気に行っちゃうようなのがいるからたち悪い。あれは極端な例とはいえ、こぉ、ここまで過放任され続けてると、暴力の(静かで緩やかな)インフレに人間全体が耐えられなくなりつつあると思うのです。


だからこそ、そこはあえてたまにはマメに衝動的になって杭の頭を叩いておかないと、もっと嫌な言い方をすれば、適当に(notテキトーに)間引いておかないと、って。腐ったミカンは、とりあえずは、まずは、誰が何と言おうと少なくとも一部は腐ってるんです。


以下蛇足。

ちぅがくのときのながたせんせぇが「金八先生が悪い」いうてはったわ、あんなもん放送すっから生徒はバンバン俺たち殴るしよー、やってらんねーよ、お前らあんま見境なく殴んなよな、って。

あんたさらっと凄いこと言うね、と思ったけど、いま思うと、わからんでもない。


蛇足2。

必要悪のことを、悪いけど要る、と取るのと、要るとかどうとかじゃなくて悪いもんは悪いんだ、と取るのと。ネットだといくらでも後者ぶれるしなあ。

お前それサバンナでも同じこと言えんの?って。


3。

生粋の日本人が海外旅行をしたとき、「現地の人が、こちらが日本人だとわかると途端にものすごく親切になった、これは先人がこの地にきたときに礼を尽くしたからだ、先人に感謝、ならオレも礼を尽くそう、いつかここに来るオレたちの次世代の旅人のために、胸を張って、誇りは高く腰は低くしよう」のように感動して、ニッポン代表として振る舞いたくなる、というケースがままあるそうで。

これ、国民性ですかね。

もしそうなら、一方で、人は、親になると「(子供から見た)親世代の代表として親らしく立派に振る舞いたくなる」という現象と何か関係ありますかね。

例えば、泥棒という職業が世襲になりうるような国では、そういうことは起こりうるんだろうか。

それとも、例えば泥棒でしか過ごせない家系は普通は海外旅行なんか行けないだろうから、いわゆる「低学歴の世界」「『うちら』の世界」に固定されてこんなこと考えもしないという方向にしか向かえないんだろうか。

投稿者 zig5z7 | 返信 (2)

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