・自分の好きな作品が他人にも良く評価されているのを知るとそれだけで嬉しいものですけど、そもそもそこがいけないんだろうか。
「誰が何と言おうと」「自分にとって」最高な作品があれば用は足りてしまう部分って結構ある気がします。だったら別にその作品が賞を獲得したかどうかもどうでもいいはずだし、運よく同好の士が見つかれば「いいよね……」「うむ……」と愛でていればいいはず、なんですけども、けども……。
賞の存在意義そのものを揺るがす発言。
・いっそ、コミティア見本誌読書会みたいなのを国の主催でやればいいのか。
評価はせず、ただ見せる。キュレーターがそれぞれ並列な「オレ賞」のPOPを記名で貼るくらいはあり。
来場者投票も、まあ、あり。投票には身分証明書が必要で、1人1回のみ。ただし複数の作品へ同時に投票するのはあり。
・それでも、賞を獲ったような作品が集まっている場に自分が行くことによって知ることができる作品や見えてくる見方というのもやはりあるし、
・であれば本屋とか図書館とか、それを捨てて街に出るとか、でもやっぱりネットは広大だわとか、うーん……
・ほんと、どうしたもんか。基準を売り上げの金額や個数に置くわけにもいかず、まさか読者や視聴者の頭に電極つないで反応を測るわけにもいかず。
今の時点で近いことができそうな基盤やシステムを持っているのは、せいぜい消去法でFacebookくらいか。でなければ北朝鮮(国内限定、かつ、実際に機能するかどうかは別)。
・>主催団体、というかスポンサーの名前を冠することを義務づける
今回に関しては「『文化庁』メディア芸術祭」って言っちゃってるので、利権というよりは「大ドイツ芸術展」みたいなもんなんじゃないすかね、と言ったら多分いろんな人がいろいろ怒るだろうなあ。退廃芸術の方は盆と暮れに有明でやってるよ!
・仮に今、がきデカや稲中が出たとして、さあ評価しろと言われても「下品で馬鹿馬鹿しいところが素晴らしい」しか言えませんし、もう少しキレイにしたところで男子高校生の日常か。